Re:忘却の彼方

美しいから飛べるんです、飛行機は。

『ブエノスアイレス午前零時』を観た。

観るか観まいか、ずっと迷い、さんざん迷い、まあチケットだいぶあるから大丈夫だ、なんて思いながら東京公演千秋楽1週間前になって一般でさくっとチケット取得。
感想はTumblrのほうに挙げてたんだけど、
エンタメ関連はやはり載せたいってことでこっちにも。

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ブエノスアイレス午前零時』、観てきました。

(※大阪公演前なので全力でネタバレしないようがんばりましたよよよ。)

【あらすじ】

福島と新潟の県境の寂れた旅館でひっそり働くカザマさんは盲目の老婆ミツコさんと妄想の中のマリア(ミツコ)さんに洗脳されて自分を取り戻せなくなりますが結局現実に戻ります。

前評判がいいと知っていたので原作も読まず、事前に情報を一切入れず。

森田剛という俳優が舞台でどんな空気を纏うのかそれだけが楽しみで行ったわけですが、なにせ私が前日、鼻づまりに狂いそうなほどの咽頭痛を抱えていったもんで、

『これが・・・・行定節か・・・・・・(白目)』

などと心神喪失寸前状態になりそうなそんな話でありました。

森田剛様が演じるカザマさんは元大手広告代理店勤務のエリート。ちょっとしたミスで会社を追われ、現在は唯一のウリが『ダンスホール』という、もはや時代錯誤もいいとこ、昭和の匂いが焦げ付いてもう擦っても擦っても取れないような寂れまくった旅館で掃除と温泉卵を担当し、他人と深く関わることもなく、毎日をなんとかやり過ごしている従業員。

そんなカザマさんがいつも通り温泉卵を作ってると、見知らぬ客、盲目の老婆のミツコ(原田美枝子)さんが、ふとやってきてカザマさんに向かって

「あんた、ニコラスじゃなかと?!おんなじ匂いがするたい!あんた、ニコラスやろがああああああ!」(大袈裟な拡張表現)

と話しかけるわけです。

『おばあちゃん、あのね、あの、この人日本人なんですけど!!!!ニコラスってwwwwニコラスってwwwww』

と思わず客席から叫んでしまいそうな人違いをされるわけです。(まあミツコさん盲目なんで仕方ないんですけどね)

これがきっかけで、

現実=福島の旅館

妄想(というかミツコさんの過去の記憶)=ブエノスアイレス

の2つの世界が、ミツコさんの実に自己中心的な突拍子もない「語り」によって、それまで「1日をやり過ごす」ことしかしてこなかったカザマさんの世界に乱入してくる。

つまり、ミツコさんの思い出話と現実であるこの福島の旅館の現実が交差しながらカザマさんの妄想が若干味を付ける形で進んでいくわけです。

ブエノスアイレスの舞台は、まあはよ言えば『メゾンクローズ(娼婦の館)』。

ミツコさんは遠く離れた南米のブエノスアイレスで、東洋人である自分を救ってくれたニコラスさんにひっそりと恋をする。そしてニコラスさんもまたひっそりとミツコさんに想いを寄せる。

でも2人の想いは決して交わることがない。

なぜなら、ミツコさんはカザマさんによって生き倒れることなく働き口を見つけられたわけだが(うんまあメゾンクローズだけど)、その街のドンに気にいられてしまったため、ドンの手下であるニコラスさんはミツコさんを好きになることが許されず。そしてミツコさんもまたニコラスさんに想いを寄せながらもドンの女でいる限り、ニコラスさんへの愛を表に出せないわけです。(結ばれるということ=死を意味するわけですね)

しかし、ある事件によってその関係は大きく崩れる。

事件がきっかけで街での居場所を失ったニコラスさんは、やっとの想いでメゾンクローズに戻るわけですが、そこにはもう、自分が想い続け愛したミツコさんはいなかった。代わりにいたのは、事件前のミツコさんとは程遠い、姿形は同じなのに「私はマリア」などと名乗る娼婦になってしまっていた。

カザマさんは遠く離れた南米のしかも遠い過去の話を聞かされるにつれ、自分とニコラスさんとがやがてシンクロしていく。

なぜなら、ニコラスさんもカザマさんも同じ、だからなんですよ。

「今日を何とかやり過ごす」

ここに出てくる人たちは、ブエノスアイレスの人だろうが、福島の旅館の人であろうが、虚無感のある、からっぽな人たちなわけです。

この現実から抜け出したいのに、抜け出せない。どんなに頑張っても変わらない毎日をなんとかやり過ごすことで、とりあえず毎日を生きている。自分の立場もこの人生にも不満だらけなのに、何もできない許されない。死ぬまでこうしていくのかと、その未来に絶望しながらただ息をしている。誰も前(未来)を見ていない。

なぜなら『今のやりきれない自分が予想するやりきれない未来がそのままやってくることが想像できてしまう』から。

カザマさんがミツコさんの話すニコラスさんにシンクロしたように、いつしか観ている観客もその虚無感がシンクロするんですよ。これが現実なのか、非現実なのか。ブエノスアイレスなのか、福島の旅館なのか、自分の生きている世界なのか。結局どこにいても、どの時代にいても『今日を生きていく』そのために今日をなんとかやり過ごす、そんな人たちがこの世界の大半なんだなって気がつくんです。

でもニコラスさんは、

『本当に自分のいる現実は変えられないのか』

自分の運命に抗う選択をする。叶うのなら、愛するミツコさんと共に光ある未来を手に入れようとする。

たとえその結果が、今日と変わらない明日になっても。いや、今日よりもっとずっと酷い明日で、最悪命を奪われる結果になっても。それでもいい、ニコラスさんは「未来を変える」選択をする。

互いを想いミツコ(マリア)さんはニコラスさんの為に、

ニコラスさんはミツコ(マリア)さんの為に。

でもその選択は、お互いが思うところとは違う角度で思わぬ結果となり、心を傷つける。

そしてミツコさんはもう現実を受け入れられなくなる。心の器の容量をとっくに超えてあふれ出てしまったその現実を『盲目』になることで自分を守ることにし、今日このカザマさんが生きる今日まで「やりすごすことにした」わけです。

でもカザマさんは気づく。

ニコラスさんとシンクロしたからこそ、ニコラスさんが選択した選択肢が決して間違っていなかったこと、ミツコさんが選んだ選択肢もまた決して間違っていなかったこと。お互いの想いが決してベストにはならなかったけど、今日まで生きてきた2人が決して不幸ではなかったと。

だからカザマさんの全てが現実に戻った時、「自分はまだ答えは出せないけれど、未来は選択肢で変わる」んだと、まるで同じようでいて違う明日を今日は生きていると気づくという結末。

大変深くて、そしてもやもやとして、そして非常に現実とシンクロする不思議な舞台でありましたよ。

森田剛はニコラスとカザマの両方を演じているんだけど、ニコラスになる瞬間に空気が変わるのです。それはスイッチが切り替わるようにというより、

もやりと霧が立ち込めてそのまま異世界に連れていく、

森田剛が演じる世界はそういったはっきりしない世界の切り替え。

私はどちらかというと、はっきり切り替わる世界が好きだから、ああやっていつの間にか世界が変わることに違和感を覚えるのだけど、森田剛はそれをすんなりやって見せる。でも、私はこれが舞台より映像のほうがよかったのでは?と思うのです。

ニコラスとカザマを演じ分ける森田剛のその絶妙な表情を、遠い舞台からではなく近くで観たいと切に思った。

そしてタンゴ。タンゴは現実のほうの世界と過去の世界をつなぐよなまあツールでもあるんだけど、メインで出てくるまでに大変前振りが長いw

私は「で、いつ踊るのですか?」と立ちあがって聴きたくなりましたよ(笑)。

荒神IZOで見せる森田節は少なくとも行定さんが描く舞台ではどう見ても合わない気がした。

行定さんはやはり映像だよ。断言できる。生かしきれてない。

で、私が一番驚いたのは瀧本美織ちゃんね。

彼女の大変なピュアさが、例え娼婦を演じていてもずっとあるの。その処女感が彼女はずっと抜けない。あれは天性だと思う。後半、マリアになってからも、妖艶で大人な色気を出しながらタンゴを踊るその姿にも「ピュア」さが憑いてる。彼女がこの役に選ばれた理由がわかった気がしたわ。

さてもはや坂本リーダーをしのぐ舞台人となった森田剛様は次回どんな舞台を魅せてくれるのか。楽しみですが。

てかいっつもこうクセのある役だから、大好きな後藤ひろひと(大王)の舞台で超くだらないコメディで森田節を思う存分出して貰うのが今私の希望ですw